シジミチョウ科におけるfalse head仮説をめぐる議論と検証 修士2年 網野 海

シジミチョウ科におけるfalse head仮説をめぐる議論と検証 修士2年 網野 海

 捕食圧は、自然選択の中でもとりわけ強力な要因として、獲物側の形質に適応的な変化をもたらしてきた。鱗翅目昆虫に広く見られる尾状突起には、捕食を回避するための様々な役割があることが知られており、飛翔速度を上昇させるほか、コウモリに超音波で正確な位置を察知されるのを防いだりする役割まであるとされている。本セミナーでは、そのなかでも長きにわたって議論されているシジミチョウ科における尾状突起の対捕食者効果について考察する。

 まず前提として、シジミチョウ科の尾状突起が捕食回避に役立つことは実験的に確かめられており、Sourakovは様々な小型鱗翅目昆虫をハエトリグモに提示したところ尾状突起を有するシジミチョウのみ捕食を免れたことを示した [1]。しかし、尾状突起が役に立つのは、単にそれが飛翔力を増強するだけではなく、その形態に捕食者への騙し効果があるからではないかと考えられている。古いものでは200年以上前から、シジミチョウ科の一部では「尾状突起が触角に見えるとともに、多くの場合その根元に目のような斑紋(= 眼状紋)が発達することから、あたかも後ろにもう一つの頭を持っているように見える(= false head)」という興味深い報告がされてきた。また、似ているのは形態のみならず、後翅を摺り合わせることで尾状突起を触角のように揺り動かす行動が知られているほか、尾状突起が目立つように頭部を尾部よりも下げて着陸する行動も知られている(Robbins, 1980)。Lopez-Palafoxらはフィールド観察で、鳥の接近とともにシジミチョウが尾状突起を揺り動かす頻度が増えることを示しており、シジミチョウは行動によって積極的に尾部と頭部を似せている可能性がある[2]。

 では、こうした形質は捕食者に対してどのような効果を持っているのだろうか。これまでに提唱されてきた説は、上記のように尾部を頭部に似せることによって利益を得ているとするfalse head仮説と、それ以外の仮説に分けることが出来る。まずfalse head仮説であるが、その効果には3つの異なる解釈がある。KirbyとSpence(1818)は「獲物に頭部が二つあると錯覚することで捕食者が攻撃を躊躇し、その間に獲物が逃げることが出来る」と説明したが、後にVan Someren(1922)が「爬虫類はfalse headを有するシジミチョウに遭遇した際、積極的に尾部を攻撃する」という観察結果を報告しており、この説は否定されている。一方、そうした観察に基づいてRobbins(1980)が提唱した「false headの反らし効果」仮説は広く受け入れられた。彼は尾状突起をトカゲの尻尾に見立て、「捕食者が獲物の頭部を狙って噛みついたつもりが、実は脆弱な後翅末端を千切っただけに過ぎず、獲物は致命的な攻撃を受けることなく逃げ切れる」と説明した。彼は野外でシジミチョウ科1000頭以上を採集し、false head様形質(尾状突起, 眼状紋など)の数が多い種ほど、後翅末端のビークマーク(= 捕食者に千切られた痕跡)が多いことを示しており [3]、さらに同様の結果は異なる種のシジミチョウ標本20000点以上を用いた調査でも明らかになっている [4]。これは、尾部を狙われたシジミチョウが逃げ切れている証拠として、Robbinsの仮説を支持していると考えられるが、これに対してCordero(2001)は「そもそも捕食者は獲物に察知されにくい尾部から狙った方が適応的であり、頭部と間違えて尾部を狙わせているのではなく、むしろ尾部と間違えて頭部を狙わせることでシジミチョウは捕食者の存在を早く気づける」と、尾部にビークマークが多く見られた結果を異なる視点から解釈し、反論している [5]。これら二つの説の妥当性は実際の捕食実験によって検証できよう。BartosとMiniasは、スクリーンに映し出した仮想的な獲物の画像をハエトリグモに提示し、獲物の進行方向や頭部の位置に基づいて、ハエトリグモが獲物の前方に攻撃を仕掛けることを示した [6]。さらに、実際にチョウに眼状紋や尾状突起を人為的に取り付けると、鳥は積極的に尾部を狙うようになり捕食に失敗しやすくなることも分かっており [7]、Robbinsによる反らし効果仮説の方が妥当と考えられる。

 しかしながら、false headの反らし効果はあくまでも「捕食者が頭部と尾部を誤って認識している」ことを前提としており、たとえば眼状紋と尾状突起は持っていても尾部と頭部がほとんど似ていない種に対しても[3, 4]のような結果を反らし効果の証拠とするにはいささか無理がある。そこで、false headを前提としない仮説を参照したい。Krizekは、尾状突起を有するシジミチョウを真後ろから見ると、シジミチョウではなく、より危険な捕食者の顔に見えることに注目し、尾状突起と眼状紋による威嚇効果を提唱している [8]。残念ながら先述のKirbyとSpence(1818)の仮説と同様に、false headが積極的に攻撃されるという観察結果からこの説はあまり受け入れられていない。一方、Van Someren(1922)の「尾部形態にはfalse headとしての役割はなく、その色彩が捕食者の注意を惹きつけている」とする“感覚利用”説は、支持する者こそ少ないが、false headによる反らし効果仮説との実験的な区別が難しく(尾状突起への捕食者の反応はどちらの仮説においても同じであるため)、現在でも明確に否定されているわけではない。

 近年最も広く認知されているのはRobbinsの仮説であるが、総じて見ると実験的に裏付けられているのはあくまでも尾部形態の「反らし効果」のみであり、false headを形成することで頭部を優先的に狙おうとする捕食者の性質を利用している、とまでは断定できない。「頭部と尾部を混同させているかどうか」を知るには、尾状突起や眼状紋の有無といった指標だけでは不十分であり、頭部と尾部の類似度を正確に評価できる手法が必要になるだろう。

[References]

[1] López-Palafox TG, Luis-MartÍnez A, Cordero C (2015) The movement of “false antennae” in butterflies with “false head” wing patterns. Curr Zool 61:758–764.

[2] Sourakov A (2013) Two heads are better than one: False head allows Calycopis cecrops (Lycaenidae) to escape predation by a Jumping Spider, Phidippus pulcherrimus (Salticidae). J Nat Hist 47:1047–1054.

[3] Robbins RK (1981) The “False Head” Hypothesis: Predation and Wing Pattern Variation of Lycaenid Butterflies. Am Nat 118:770–775.

[4] Galicia EN, Martínez MAL, Cordero C (2019) False head complexity and evidence of predator attacks in male and female hairstreak butterflies (Lepidoptera: Theclinae: Eumaeini) from Mexico. PeerJ 7:e7143.

[5] Cordero C (2001) A different look at the false head of butterflies. Ecol. Entomol 26:106–108.

[6] Bartos M, Minias P (2016) Visual cues used in directing predatory strikes by the jumping spider Yllenus arenarius (Araneae, Salticidae). Anim Behav 120:51–59.

[7] Wourms MK, Wasserman FE (1985) Butterfly Wing Markings are More Advantageous during Handling than during the Initial Strike of an Avian Predator. Evolution (N Y) 39:845–851.

[8] Krizek GO (1998) Tri-Dimensionality of the “False Heads” of Lycaenid Hindwings (Lepidoptera: Lycaenidae). Holarct Lepid 5:47–48.